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大東亜戦争ニュース・2018/ 12~7 6~1
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大東亜戦争ニュース・2018/12~7
シナ系、朝鮮系を除くオーストラリア人に感謝する!
2018・12・27 ダーウィン 田中靖人 産経新聞
旧日本軍潜水艦慰霊碑「日豪共通の記憶、日本でも知って」
「記事内容」
オーストラリア北部ダーウィンの海を望む丘に昨年5月、先の大戦の開戦直後に沈没した潜水艦
  「伊号第124」の戦死者を追悼する慰霊碑が建立された。
建立した北部準州豪日協会のキャサリーン・ブレズナン会長=当時=(54)が産経新聞の取材に応じ、
  「日本の人々に、あなた方の先祖を尊敬し追悼していることを知ってほしい」と話した。
ブレズナン氏らが慰霊碑の建立を計画し始めたのは4年前。昨年が旧日本軍によるダーウィン爆撃から75年に当たるため記念事業を検討していたところ、地元の歴史研究家、トム・ルイス氏(60)から
  「日本側の視点も加えるべきだ」と提案があった。
ルイス氏は豪州海軍の潜水士時代に沈没船調査に参加した経験から1997年、伊号第124の書籍を出版した。
同艦艦長の娘や旧日本海軍関係者への取材などを元にとりまとめた。
同艦は42年1月、ダーウィン港の封鎖作戦中に米豪両海軍の爆雷攻撃を受け沈没。
封鎖に失敗した日本軍は翌月、海軍施設への空爆に踏み切った。
ルイス氏によると、船体はほぼ原形をとどめ内殻は密閉されており、潜水隊司令以下80人の
  「全てが残されている」という。
過去に何度か引き揚げの動きがあったが、77年に豪州初の歴史的沈没船に指定されて保護対象となり、部品の持ち出しなども禁止されている。
慰霊碑は、豪州政府と北部準州政府の補助金計1万豪ドル(約80万円)を元に作られ、沈没地点を約40キロ先に望む公有地に立てられた。
銘板には同艦のソナー画像が刻まれている。
設置にはごく少数の退役軍人が反対したが、ルイス氏が説得したという。
11月には日豪首脳会談でダーウィンを訪れた安倍晋三首相が献花を行った。
ルイス氏は、日本で訪れた戦争博物館に同艦の記述がほとんどなかったと指摘。
同艦は「日豪共通の記憶だ」述べ、日本で認知度が高まるよう期待を示した。
ブレズナン氏は
  「戦争は日豪双方にとり悲惨だった。私たちはどの国であれ国のために命を落とした人々を尊敬している。碑が(日豪の)和解の旅の里程になれば」と話した。
 ※日本の政治家は異常者であり大馬鹿!
大日本帝国と何も関係の無い中華人民共和国と韓国、北朝鮮に気遣い、靖国神社に参拝をしない!
これが戦後政治! 何故だか分かるか?日本人!
大違い・大日本帝国の軍人(日本人)と日本国の政官財界人(日本人)!
2018・12・19 DHCTV
 
「放送内容」
  出演:井上和彦×藤井厳喜

 
※井上和彦氏が報告・日本国の嘘つき安倍総理始め政官財界人は恥を知れ!
大東亜戦争はルーズベルトの陰謀!
2018・12・17
いわんかな#18-2【日米開戦の真実・後編 米共産主義スパイと山本五十六】渡辺惣樹・堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公人・志方俊之・福島香織・塩見和子★  
2018・12・13 
いわんかな#18-1【日米開戦の真実・前編 グローバリストたちの手口】渡辺惣樹・堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公人・志方俊之・福島香織・塩見和子★ (2)

「放送内容」
  出演:(左から順に)
日下公人(評論家)  塩見和子(日本太鼓財団理事長・国際同時通訳の第一人者)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)  渡辺惣樹  堤堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長)
福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)  高山正之(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
志方俊之(軍事アナリスト・元陸上自衛官陸将)
  後編
・ルーズベルトは、なぜ日本に戦争を仕掛けたのか?
・東京裁判で海軍軍人は陸軍に比べ厳しく訴追されなかった 
※海軍大臣の嶋田繁太郎は死刑を免れ、米内光政は容疑さえもかけられなかった
・若い頃7年間アメリカに滞在していた山本五十六は英語で日記を書いていたり、米国人の本性(歴史上、自国民を犠牲にして参戦するやり方)は分かっていたはずだ
・山本五十六(1884年 - 1943年4月18日)
大日本帝国海軍大将 ハーバード大学留学、駐米大使館付武官など 若い時代に長らくアメリカに滞在する。真珠湾攻撃の仕掛け人
・米国は真珠湾攻撃では250人程度の被害と思っていたら、実際は2500人となり、ルーズベルトも狼狽したのではないか
・米国人ほど遺骨を大事にする民族はいない
・にもかかわらず、なぜハワイで撃沈された戦艦アリゾナは海底から引き揚げられないままなのか?
・戦艦アリゾナ:
今でも水深14mの海底に沈む 死亡した1177人の乗組員のうち1000人近くが未だ眠ったまま
船の上の海上にはアリゾナ記念館が建つ(明らかにしたくない理由がある?)
・1941年の真珠湾攻撃後のクリスマス、ホワイトハウスではルーズベルトとチャーチルが密談。バスローブ姿のチャーチルは腹をさらけ出しアピールした・・・。   
・日英同盟(1923年):1902年に締結
1921年のワシントン海軍軍縮会議の結果 1923年8月17日に失効する
・日英同盟破棄以降、それらも踏まえた長いスパンで見る必要もあり
・若杉要(若杉電報) 
駐米特命全権公使として日米交渉にあたった。野村・来栖大使をサポート
・米国は「ワシントン海軍軍縮会議(1921)」以降、日本への締め付けをずっとやってきたのは何故か?
・米国の軍人や政治家の背後にいたのは、ウォール街・金融勢力(=ユダヤ共産主義者)
・ヘンリー・スティムソン(1867年 - 1950年)
民間出身の陸軍長官 日系人の強制収容の推進、原爆の製造と投下を管轄していた イエール大学時代に秘密結社スカル&ボーンズに入会済
・ハリー・ホプキンス / アルジャー・ヒス / ポール・ウォーバーグ / バーナード・バルーク / ハリー・デクスター・ホワイト
ルーズベルトの顧問役として活動した人々 ソ連と通じていた共産主義者としてスパイ認定される等 ※ユダヤ系人 ※ポール氏はFRB創設者の息子(同名)で銀行家
・<ルーズベルトやチャーチルは、彼らまたはその背後の金融家に操られ利用されていた>
・『操られたルーズベルト―大統領に戦争を仕掛けさせた者は誰か』
カーチス・B. ドール 著、馬野周二 訳(プレジデント社 1991年)
・広報委員会(1917年創設)
第一次世界大戦への米国の参戦に向け 国内の世論を誘導すべく立ち上げられた政府広報機関 プロパガンダ(情報操作)を研究・実施
・第一次大戦後は上海で活動した広報委員会、日本と支那を戦わせる工作を展開した
・石井・ランシング協定(1917年)
日本の特命全権大使・石井菊次郎と米国国務長官ロバート・ランシングとの間で締結された中国での特殊権益(主に満洲)に関する協定
→なぜ条約まで落とし込めなかったか?していれば満洲は世界に認められていたはず
・九カ国条約(1922年)(支那ニ関スル九国条約) :米英伊仏中など9カ国が参加し 中国権益の保護を図ったもの(日本の中国進出を抑制、以降日本は世界で不利な立場となった)
→このあたりも日米戦争の遠因
・人種問題(日本人蔑視)も遠因
・しかし日米戦争の米国の最大の目的は、中国の共産化だったのではないか。
・実際、毛沢東を支援していたのはアメリカ(共産主義ユダヤ)
・ジョージ・マーシャル(1888年 - 1959年)
第二次世界大戦中は陸軍参謀総長(独戦で活躍)
戦後は中国における全権特使を務め、共産党を利する行動を取り続ける 1953年ノーベル平和賞受賞(マーシャルプランでしか教科書には出てこないが、かなりの悪人)
・ハリー・ホプキンス(1896年 - 1946年)
ルーズベルトの非公式な特使(非合法工作員)として各国首脳との調整役として活躍 原爆の情報をスターリンに届けたとも言われる
・ホプキンスもマーシャルもFDRの嫁・エレノアと関係していた噂あり
・エレノア・ルーズベルト(1884年 - 1962年)
世界人権宣言の起草者で人権活動家 共産主義に共鳴していたとされる。セオドア・ルーズベルトの姪(FDRとはいとこ関係)→こちらも生粋の共産主義者
・山本五十六と近衛首相が一生懸命戦争しようとしたのではないか(日本の主戦論者)
・日本はアメリカが容共政権だということが見抜けなかったのが最大の敗因
・日本の影の主戦論者は共産スパイだった尾崎秀実
・『第二次世界大戦 アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ』
渡辺惣樹(文春新書 2018年6月)ハリー・デクスター・ホワイト、アルジャー・ヒス、二人のスパイを描いた傑作!
・当時、理想すぎる共産主義世界の洗脳を受けて動いていた人々がいたことは事実
・ルドルフ・ヘス(1894年 - 1987年)
ドイツ労働者党副総統・ナチス親衛隊大将。英国との和平を画策し 1941年5月10日単独飛行でスコットランド・グラスゴーに不時着した
・ドイツは英仏と戦争したくなかった(という証拠は多々あり、状況証拠からもありありと見える)
・ルーズベルトが、スターリンと組んで戦争をやるというのは、かなり前から決めていたこと(共産主義世界の構築)
・1987年8月17日 93歳のルドルフ・ヘスは獄中で 電気コードによる首吊り自殺で死亡 ヘスの息子はイギリスによる暗殺と主張している
・日本の真珠湾攻撃が、ルーズベルトに希望を与えたことは、事実と思われます・・・
  (2)
「放送内容」

日米の太平洋戦争、戦争が始まったのは<日本が真珠湾攻撃を仕掛けたから>が要因と学校では教わりますが、戦争をしたかったのはむしろアメリカであり、ルーズベルト大統領の挑発にまんまと乗せられてしまった日本、というのが歴史の真実であると、様々な資料から少しづつ判明して来ております。
日米の近現代史の専門家、渡辺惣樹さんをゲストにお招きし、
  「あの時何があったのか?」を徹底討論!
なお、日産カルロス・ゴーン氏の逮捕問題についても、冒頭たっぷりお話しいたします!
ヤツらグローバリストたちの手口に、日本人は乗せられっぱなしではないだろうか?
  <本題のテーマ:日米開戦の真実>
渡辺惣樹さんの著書のご紹介
・「日本開国」
・『誰が第二次世界大戦を起こしたのか:フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』
・『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか
「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦』(翻訳)
・『裏口からの参戦 ルーズベルト外交の正体』(翻訳)
・ルーズベルト政権はあきらかに「戦争を起こした後にいかに言い訳するか」を事前に計算して考えていた(という証拠がある)
・1941年当時の米国では、85%の国民が、日本、ドイツとの参戦に反対だった
・ヒトラーはなぜ対米参戦したのか?ルーズベルトの挑発にもずっと我慢していたにも関わらず
・1943年夏までに1000万人動員するという、ヒトラーの対米宣戦布告を誘う「対独戦争計画」(レインボー5)のリーク(シカゴ・デイリー・トリビューン紙)
・このリーク記事は挑発で、ヒトラーはまんまと乗ってしまった?
・誰がリークしたのか?→ルーズベルト本人ではないか説
・キンメル太平洋艦隊司令長官とショート陸軍司令長官の二の舞
真珠湾攻撃時のハワイ米軍のトップ。責任を取らされ罷免となった。
1999年に彼らの名誉回復決議が上下院で採択されたがビル・クリントンとブッシュ大統領は署名を拒否した
・ハミルトン・フィッシュ(1888年-1991年)
米下院議員(当時)ルーズベルト大統領が最も恐れ
かつ最も憎んでいた共和党の重鎮 
米国の第二次大戦への関与には反対していた
・日本への最後通牒とも言える「ハル・ノート」
(1941年11月26日提示)
米国議会や国民には知らされず FDRと一部首脳陣で
日本を挑発させるために断行した
・ハル・ノートのことはなぜ戦後まで伏せられていたのか?
・ハル・ノートや真珠湾攻撃の真相が一般に公表されたのは「陸・海軍査問委員会(公表は戦後の1945年8月)」でしょうか?
・ハル・ノートが議論された会議(11/25)に出席した人物6名
●ルーズベルト大統領●ハル国務長官●スチムソン陸軍長官●ノックス海軍長官●マーシャル将軍●スターク提督
・近衛文麿 首相 (1891年 - 1945年)
日米決戦が迫る1941年10月18日に内閣総辞職、終戦後 巣鴨拘置所への出頭前に青酸カリで自殺
・第二次大戦の独ソ戦(1941年10月〜1942年1月7日)
序盤はドイツ軍が進軍しモスクワへ到達したところ、12/5以降はソ連軍が防衛、盛り返し勝利した。
・日本が「ハルノート」に、正常に(冷静に)対応できなかったのは、まだまだこれから検証すべき問題である。のらりくらりの対応をすることも十分にできたはず。
・ルーズベルトは、なぜ日本に戦争を仕掛けたのか?
〜続きは後半へ!〜
 
※三流日本人が統治した戦後の日本、日本政府は嘘を捏造し騙している。
蒋介石が起こした日支事変
2018・12・16 (1/3ページ) 社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載
産経ニュース 【昭和天皇の87年】中国・済南で起きた日本人虐殺事件 天皇の危惧が現実化した
「記事抜粋」
  第80回 山東出兵
孫文の死後、中国南部の広東を根拠地とする国民革命軍が全国統一に向け、北方の軍閥政府を倒す北伐を開始したのは1926(大正15)年の夏である。
当時の外相、幣原喜重郎は内政不干渉政策を貫き、外国人保護を目的とするイギリスからの派兵提案にも応じなかったが、政権交代後の昭和2年5月、首相兼外相の田中義一は、山東省青島の邦人保護のため陸海軍の派兵を断行。
7月には兵力を増派して山東省済南に進出した。
山東出兵である(※1)。
大元帥となって初の本格的な海外派兵。
平和を念願する青年君主は苦悩した。
昭和天皇実録が書く。
7月8日《参謀総長鈴木荘六参殿につき謁を賜い、第十師団主力等の青島派遣に関する上奏を受けられる。
なお参謀総長拝謁後、(中略)天皇は暫時沈思された後、(侍従武官の蓮沼蕃に)撤兵についての考慮の有無、及び尼港(にこう)事件の如き事態は発生しないかとの懸念につき御下問になる》(14巻92頁)
尼港事件とは、大正7~11年のシベリア出兵の際、ニコラエフスク港(尼港)に駐屯する日本軍部隊と在留邦人、一般住民ら数千人がソ連のパルチザン部隊に虐殺された事件だ。
昭和天皇は、山東出兵で中国との軋轢(あつれき)が深まり、第二の惨事が起きることを危惧したのである。
          × × ×
その危惧は、1年足らずで現実化する。
中略
昭和天皇の苦悩は、一段と深まったに違いない。
内外ともに混迷の度を増す中で、昭和天皇の即位の礼が行われようとしていた--。
               ◇
  (※1) 1926~27年の北伐で、国民革命軍が南京に入城した際、日本を含む各国の領事館や居留地を襲撃する南京事件が発生。
多大な被害が出たにもかかわらず日本政府は邦人保護に努めなかったとして、幣原外交を糾弾する声が噴出したことも、田中政権が山東出兵に踏み切る要因となった
  (※2) 山東省済南で起きた日中両軍の衝突で中国側は、済南交渉公署の中国人外交官や職員ら計16人が日本軍に虐殺され、銃剣で耳や鼻をそぎ落とされたと国内外に喧伝、反日世論をあおった。
これに対し日本軍は、戦闘中に済南交渉公署の建物を捜索したところ、潜伏していた私服の便衣兵などから射撃されたため、建物内の16人を殺害したことは認めたものの、銃剣で耳や鼻をそぎ落としたというのは中国お得意の宣伝工作であり、そもそも銃剣でそんなことはできないとして、虐殺については否定した
               ◇
  【参考・引用文献】
○宮内庁編「昭和天皇実録」14巻
○海軍軍令部第3班作成「済南事変ノ真相」(防衛省防衛研究所所蔵)
○昭和3年5月9日午後10時40分発電送「済南事件邦人惨殺状況」(外務省外交史料館所蔵)

大東亜戦争・アメリカ戦の分岐点(連合艦隊壊滅)!
2018・12・5
「放送内容」
  出演:井上和彦×藤井厳喜


コミンテルンが暗躍した戦前、戦後の日米!
2018・12・4 DHCTV 日本人必見動画!
 
「放送内容」
  出演:百田尚樹×江崎道朗
・韓国 歴史問題で対日悪化回避を
・米 対中関税上げ90日猶予 貿易戦争回避
・北海道 中国人46人行方分からず
・TBS社長 中国の大学で奨学金授与
・日露外相を交渉責任者に
・お知らせ(政府主催国際シンポジウム〜拉致問題を含む北朝鮮人権状況改善に向けた北朝鮮の具体的な行動を引き出すための国際連携のあり方〜)
・お知らせ(虎ノ門ニュース in 赤沢温泉郷スペシャル)
・お知らせ(出演者予定)
・江崎道朗 著「知りたくないではすまされないニュースの裏側を見抜くためにこれだけは学んでおきたいこと」
・お知らせ(第19回大東亜戦争を語り継ぐ会 大東亜戦争の原点を探る)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:コミンテルンとは?)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:江崎道朗氏「日本国紀」を監修して)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:アメリカ政府が公開したヴェノナ文書で歴史の見直しが進んでいる)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:コミンテルン暗躍の歴史①)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:第二次世界大戦当時のアメリカの対日認識)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:コミンテルン暗躍の歴史②)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:GHQが日本人に施した洗脳)
・火曜特集(暴かれたコミンテルンの真実:今、日本がとるべき政策)

 
※戦前戦後の史実を知ると、日米開戦に疑問が生じる。
大日本帝国政府は嘘のハルノートを受け日米決戦に挑んだのだが、何故、アメリカにハルノートの真偽を確認しなかったのか、最後通牒を遅らせた全権野村大使の不可解な行動、戦後の待遇がより一層、疑義が生じる。

※ 政治問題 ※ 己の戦争犯罪を隠した違法な東京国際リンチ
三流日本人が統治した戦後の日本政府が悪い!
2018・11・29 文・写真:武馬怜子/Yahoo!ニュース 特集編集部
「こういうことはこれからもある」元BC級戦犯が残したもの
「記事抜粋」
この8月、ようやく連絡先を探し当てた高齢の男性はスマートフォンの向こうで言った。
  「(父をめぐる出来事は)忘れました。ほっといてください。何も言いたくないんです」。
懇願するような声だ。
  「本当に覚えていないんです。分かってくださいますか」……。
敗戦国・日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は1945年の末から
  「戦犯」を次々と捕らえ、裁判にかけた。電話の主は、元被告の遺族の1人である。
広く知られた A級戦犯の
  「東京裁判」ではなく、捕虜の斬首や虐待などの罪に問われたBC級戦犯の
  「横浜裁判(横浜軍事法廷)」。戦勝国・米国によって1000人以上が起訴されたその法廷は、ちょうど70年前の今ごろ大詰めを迎えていた。
  BC級戦犯1000人超 捕虜の殺害や虐待で法廷へ
  「絞首刑」を言い渡された父の日記
  敗戦間際 捕虜の米兵を斬首で「処刑」
  「処刑」の責任 押し付け合う上官たち
  郷里・福岡に戻り、「戦犯」から父へ
  「短い命を更に縮めるような小細工はなさるな」
前略
堅太郎氏は、自分の子どもたちや次世代の人々に何を伝えたかったのだろうか。
冬至家が保存していた日記をめくると、1949年6月8日の日付にはこう記されていた。
日本人は自分自身で考えるという大切なことにかけている。
お父さん自身もそうだった。
どんな人の言葉も盲信してはいけないし、頭から否定してもいけない、必ず、自分でよく味わい、吟味しなくてはならないのだ
 
※戦後処理が間違った三流日本人が統治した日本政府! 未だに国際法違反のABC級表現が生きている。
武馬怜子よ、お主は東京軍事裁判を知っているのか? 何がやりたい、何がいいたい!
問題は戦後の日本政府の立ち位置、戦後の日本政府は大日本帝国と皇軍兵、海外で散った皇軍兵の遺骨も斬り捨てた戦後の日本政府に責任を問うのが筋である。

武馬怜子(ぶま・れいこ)
1980年、愛知県生まれ。
フォトジャーナリストの中村梧郎氏に師事。
2013年から被災地をテーマに写真展を各地で開催。
2014年、上野彦馬賞入選。
伝統芸能や動物、ロヒンギャ難民などを幅広く取材。
https://www.reiko-buma.com/
大東亜戦争アメリカ戦・戦艦特攻を試みた大和秘話!
2018・11・21 DHCTV
 

「放送内容」
  出演:井上和彦×藤井厳喜
・藤井厳喜・古田博司 共著「韓国・北朝鮮の悲劇 米中は全面対決へ」
・小林拓己 著「愛国少女 ウヨ子ちゃん」
・ゴーン容疑者 是正を拒否 監視委が不正投資指摘
・北方領土 四島返還が6割 安倍外交は指示 世論調査
・米副大統領「中国は態度を改めよ」不公正貿易を批判
・ポーランド帆船が大阪港に寄港 独立100周年で
・北朝鮮で10監視所を撤去 非武装地帯で合意履行
・ダライ・ラマ 権利訴え講演 「抑圧より現実的対応を」
・お知らせ(欧州一の親日国家ポーランドの驚きの感動秘話!)
・お知らせ(「ウイグル弾圧と冷凍技術」中国、日本から奪った技術の悲惨な使いみちとは…?)
・お知らせ(【藤井厳喜の「日本再興戦略」第2弾】「文学言語編」)
昭和の英雄が語る大東亜戦争偉大なる記憶(池田武邦さん(94)の偉大なる記憶)
昭和の英雄が語る大東亜戦争偉大なる記憶(レイテ沖海戦」)
昭和の英雄が語る大東亜戦争偉大なる記憶(沖縄水上特攻)
昭和の英雄が語る大東亜戦争偉大なる記憶(若者へメッセージ)
・難民申請の制限違法 米連邦地裁 大統領令を差し止め
 
※戦艦大和乗組員の証言! レイテ島を前にしての不可解な作戦変更!
日本に勝機はあった大東亜戦争!
2018・11・1
【海外の反応】日本は戦争に勝てた!日本軍の敗因は〇〇!それでも米軍に恐怖心を植え付けた日本軍の強さ!三国同盟は果たして本当に必要だった?【ぞくぞく】
「コメント」
ナシ
 
※多くの投稿あり!
大日本帝国が勝利していたら、いい世界が出来ていただろうが、敗戦してよかった事もある。
心の残りは台湾だが、シナと朝鮮が分離出来ている事だでもいいとしよう。
満洲国・日ソ戦~シベリア抑留
2018・10・19 DHCTV

「放送内容」
  出演:武田邦彦×井上和彦×八木景子

 
※日本人は戦中の日本国と満州国を守ろうとした日本人の凄さを知れ! 
意外なソ連人女性看護婦の姿が印象的である。

台湾人に感謝!
2018・10・12 台北=河崎真澄 日本人必見記事!
産経ニュース 使命感と向学心に燃えた「台湾少年工」 戦闘機製造に従事 20日に記念式典
「記事内容」
  「いまも懐かしさでいっぱいだ。10代に同じ釜のメシを食べた仲間との心のつながり、喜怒哀楽は何年たとうとも忘れられない」
第二次世界大戦期の昭和18(1943)年、日本統治下にあった台湾から選抜された10代の少年が神奈川県に位置した
  「高座海軍工廠(こうしょう)」に集められ、今年で75年。
終戦までの2年間で8400人以上の
  「台湾少年工」が戦闘機の製造に携わった。
台北で生まれ、18歳で少年工になり、現在は元少年工の同窓組織
  「台湾高座会(こうざかい)」の総会長を務める92歳の李雪峰氏は日本語でこう話した。
元少年工やその家族らと日台の交流を長年続けてきた神奈川県の地元関係者らが10月20日、座間市や大和市などで記念式典を開くことになった。80代、90代になった元少年工20人に加えて、家族や対日交流に関心の深い台湾の若者、約70人も海を渡って出席する。
李氏はそのリーダーとして再び思い出の地を訪れる。
          □  □
記念式典は
  「台湾高座会留日75周年歓迎大会」。
甘利明・元経済再生担当相が大会会長として歓迎のあいさつをする。
式典に先立ち同日午前、座間市の芹沢公園に建立された
  「台湾少年工(海軍軍属)顕彰碑」の除幕式も行われる。
戦時中に父親が少年工の寄宿舎で舎監を務め、自身も少年工らと寝起きをともにしていた
  「高座日台交流の会」の石川公弘会長が、大会実行委員長の重責を果たす。
子供のころ、台湾からの少年工たちを“兄貴分”と慕っていた石川氏は、
  「台湾少年工の戦時下における労苦と、戦後の台湾における知日団体としての働きに感謝する大会にしたい」という。
ただ、
  「元気な方々も90歳前後になった。“第二の故郷”である『高座の地』で開催する大規模な歓迎大会としては、おそらく今回が最後になると思われる」と寂しげに話した。 ※寂しくなるな!
          □  □
李雪峰氏が台北市内で少年工の仲間や友人たちと好んで集い、日本などからの来客と会うカフェが、松江路の
  「ゴールデンチャイナホテル(康華大飯店)」1階にある。
つづく
          □  □
李氏は、
  「台湾では(日本の内地から来た)教師や警官の息子が生意気で、よくケンカした」と話す。
つづく
          □  □
とはいえ、戦時中のことだ。
物資や食料が不足する中で、台湾という南国で育った身には神奈川の秋から冬にかけての寒さが身にしみる。
戦闘機
  「雷電」を製造するため鉄板をハンマーで成型するなど、少年には辛い労働も待っていた。
つづく
          □  □
昭和20年8月15日。台湾少年工も勝利を信じていた戦争は敗北。
  「半読半工」でめざした台湾少年工の向学心は夢と消えた。
ただ、李氏はこのとき、敗戦のショック以上に
  「多数の少年工たちをどうやって台湾に安全に連れて帰るかが、まず頭にあった。とにかく冷静だった」と振り返った。
つづく
          □  □
李氏らは87年7月に戒厳令が解除されてすぐ、88年に元少年工の同窓組織、台湾高座会を立ち上げた。
李氏らが
  「10代に同じ釜のメシを食べた仲間との心のつながり、喜怒哀楽」を戦後もずっと忘れられなかったことの証左だ。
李氏はいわば台湾高座会を代表する形で2013年春の叙勲で、日本政府から旭日小綬章を受章した。
伝達式で李氏は、
  「日本は私たちを忘れなかった」と述べた。
75周年を祈念する10月20日の歓迎大会も、もちろん日本が台湾少年工、その家族や友人たちを決して忘れていないことの証左だ。
 ※日本の隣に台湾人がいてくれてありがとう!
台湾人に苦労を掛けた事を日本人として詫びたい、歳のせいか、日台関係の記事を読むと自然に涙が溢れる。
人生最後の旅は是非、台湾に行きたいと考えている。
東ティモール・馬鹿な反日日本人学者が暗躍!
2018・10・10 林原チャンネル
いわんかな#16-1【沖縄知事選と東ティモール旅レポ】堤堯・馬渕睦夫・志方俊之・福島香織・塩見和子・日下公人★
「放送内容」
2018年9月30日沖縄知事選は玉城デニー氏の勝利となった。
これを一言でまとめると、ある人物が浮かび上がる・・・。
9月に東ティモールへ旅してきたという高山正之&福島香織両氏のレポートから見える、発展途上国との付き合い方とは?
沖縄と東ティモール、この二つの島から、日本の国益の諸問題をあぶり出します!(まずは前編です)

<#16-1前半・目次的な!>
・高山さんと福島さんによる東ティモール旅レポート
・東ティモールについて
 2002年独立 ティモール島の西半分はインドネシア領
 南側にはオーストラリアが位置する 国民の99%がキリスト教徒
 1975年 インドネシア軍が東ティモール全土を制圧
 1998年にスハルト政権が倒れる
 2002年に独立
・大日本帝国陸軍も東ティモールで活躍していた
・『チモール逆無電』三浦重介(1961年 / 自由アジア社)
・LDC = 後発開発途上国
 国連総会の決議により認定された 特に開発の遅れた国々。現在世界に47カ国ある
・LDCアンタイイング
 借款を行なう際に資材及び役務の調達先を借款供与国に限定しないことを一般的に意味する
・ラモス・ホルタ(第2代大統領)ノーベル平和賞受賞(1996年)
・シャナナ・グスマン(初代大統領)
・インドネシア独立戦争 約4年間(1945年8月17日 - 1949年12月27日)
 日本が戦争に敗れた直後から開始(対オランダ・英国)
 日本に引き揚げずに独立派に身を投じた元日本兵は数千人に上る
 ※日本政府は日本人の目が届かない国でJICAを通じシナ企業に貢いでいる! 
この事例こそ日本政府が反日親シナの証である。
高山正之氏と福島香氏が初めて暴露!
日本政府はJICAを通じ日本人の敵シナ人に日本人が収めた税金を還流している案件でありいい事例である。

<沖縄知事選> 
・沖縄知事選(2018年9月30日投開票)玉城デニー氏が8万票の差をつけて当選
・小沢の島になってしまった
・小沢のポッポに金が入る仕組みが出来た
・小沢一郎氏の豪邸の別荘は辺野古の近くにあり(2013年建設)
・戦争では米軍が10万人を虐殺した
・惠隆之介氏(沖縄県出身の元海上自衛官で作家・ジャーナリスト)の話
・翁長元知事と仲井真元知事の争いは、補助金の奪い合いだった
・沖縄振興予算
 平成30年度 → 総額3010億円(前年度比140億円減)
 平成33年度まで毎年3,000億円台の予算を確保し沖縄の成長を後押しします(内閣官房HPより)
 https://www.kantei.go.jp/jp/headline/...
・瀬長亀次郎(1907年 - 2001年)沖縄の衆議院議員・沖縄人民党〜共産党
・ポール・W・キャラウェイ(1905年〜1985年)沖縄で第3代琉球列島高等弁務官
・沖縄は、中国や朝鮮半島と丁度良い距離(リモートネス)にある。アメリカは手放さない(ペリーも狙った場所)
・周辺国に「睨みをきかす」ことを日本はアメリカにお願いしている
・あたりまえの正論が反映されない&通じない沖縄民主主義
・補助金をもらって働かない沖縄の人 援助は自らの成長を阻害している
・毎年の補助金3000億円はどこへ行っているのか?
・沖縄返還は住民を返還したもの(土地は返還していない)
・沖縄は韓国(朝鮮)の歴史とよく似ている
・正論を言う政治家が出てこないと沖縄が良くならない
・働かない怠け者がどうして日本の周り(沖縄や北海道)に沢山いるのか?
 →日本人が優しすぎるから
・沖縄を良くしたいと思うならば補助金を全部やめるべき
・沖縄はいつまで犠牲者をやっているのか?
・政治家とメディアが正論を言わないことが大問題
・今回の沖縄県知事選挙でも基地問題が争点にならなかった、ありえないことである
・沖縄と北海道は同じ構図
・北海道の補助金は約1兆円(地方交付税+国庫支出金)
・原因は本土の日本人が優しすぎるから
 「心が優しいことの罪」を法律で作れ
 ※三流日本人が統治した戦後政治(自民党)の愚かさを暴露!
  収録日:2018年10月4日
 出演:(左から順に)
日下公人(評論家)  塩見和子(日本太鼓財団理事長・国際同時通訳の第一人者)  
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)  高山正之(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
堤堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長)  福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
志方俊之(軍事アナリスト・元陸上自衛官陸将)

※ 国際問題 ※ カナダ人による人種差別
連合国は東京国際軍事裁判(リンチ)判決に反省は無いのか?
2018・9・30
産経ニュース 日系人収容、後世に伝える カナダ西部で表示板除幕
「記事内容」
カナダ西部ブリティッシュコロンビア州レベルストーク近郊で28日、第2次大戦時や戦後に強制収容された日系カナダ人の歴史を紹介する表示板の除幕式が開かれ、日系人や地元住民が参加した。
地元メディアが29日までに報じた。
カナダ政府が1988年に日系人強制収容を謝罪し、生存者に補償して9月で30年。
同州政府は収容開始から75年となる昨年に、収容に関連する州内56カ所を史跡に指定すると発表するなど
  「負の歴史」を後世に伝える動きが続いている。
式典は日系人が強制的に建設工事をさせられた道路近くで行われた。
労働に従事させられた日系人ストーニー・ナカノさん(97)は
  「今日は特別な日。とても誇りに思っている」と語った。
式典に出席した地元の女子高生は
  「私たちが過去に犯した過ちを繰り返したくない」と話した。
州政府によると、42~49年に沿岸部に住んでいた日系カナダ人2万2千人以上が内陸部にある施設に強制的に収容された。
 
※これはこれで評価するが、連合国は未だ、解決しなければならない大問題があるだろう。
河添の印象操作か? 歴史は正確に話せ!
2018・9・27 ユーチューブ
ノンフィクション作家・河添恵子#7-3★反日フェイクニュースの原点は戦前の中国とアメリカにあった!
「放送内容」
<目次的な!>
・中国とアメリカ左派の深遠なつながり
・フェイクニュースの原点
・蒋介石、宋美齢の中華民国とアメリカ
・ヘンリー・ルース(1898年 - 1967年 /  Henry R. Luce)
雑誌『TIME』創設者(1923年)その後『LIFE』『Fortune』誌も創設
中国でユダヤ系宣教師の息子として生まれ 米国で育つ 
・スカル&ボーンズ(S&B)
米イェール大学にある秘密結社 1832年設立
構成員が経済的・社会的に成功することを目的としている
・ラッセル一族
「スカル&ボーンズ」創設者の1人 ウィリアム・H・ラッセルは
「ラッセル商会」を創立 中国周辺でアヘン貿易等で財を成した
・TIME誌はフェイクニュースの元祖 親中反日キャンペーンを張った
・有名な「上海南駅の赤ん坊」写真も演出されたもの
・宋美齢の米国での活躍 1943年2月18日に米連邦議会下院議院で演説
・今日まで至る、左派とメディアの関係
・ジャーナリズムとは何か?時の権力者の宣伝媒体でしかないのか
・反日の原点は親中国
・宋三姉妹
① 宋靄齢(孔祥熙夫人・孫文秘書)② 宋慶齢(孫文夫人)③ 宋美齢(蒋介石夫人)
・次女・宋慶齢(孫文夫人)はスターリンの忠実な部下だった
・イスラエル・エプスタイン(1915年 - 2005年)
ポーランド生まれのユダヤ人 5歳から中国に移住し1957年に中国国籍取得 ジャーナリスト・中国共産党員 ※#6-3でも登場
・これから5年10年で、こういった100年にわたる反日、抗日の流れは変わってくるのではないか。主にはトランプの登場により。
<Q&Aコーナー>
Q. 客家人脈と習近平の関係を教えて下さい
 ◎福建省、広東省の場所を地図で確認
Q. 客家人の何が凄いのか?もう少し詳しく教えて頂けますか。 
  100年前、現在の中国語で話す中国人はほとんどいなかった
  客家人は客家語で人間関係を築いていた
Q. 毛沢東が中国の言葉を統一したのはかなり意味があることでしたね
Q. なぜ日本はこれまで、アメリカ左派の影響を受けてしまったのでしょうか? 
Q. 中国と世界の今後について・・・
Q. トランプ氏がアメリカ左派の逆襲にあう可能性について
 ※河添恵子氏は大きな間違いを犯している。
シナ大陸は1912年建国・中華民国(国民党)が存在したが、シナ共産党政府は存在せず!
この時代の話にシナを一括りに中国と国号を使うのは大間違い! 日本人を騙す工作でもやっているのか?
評論家ならもっと正確に話をしろ!
※ 政治問題 ※ 反日日本政府による洗脳
チモール
2018・9・25 チャンネル桜 フロントジャパン 日本人必見動画!
【Front Japan 桜】東ティモール行ってきた!~知られざる日本軍「逆無線隊」の活躍 / 国菌を大事にしよう / 人民解放軍と芸能界~習近平は軍を掌握しているか?[桜H30/9/25]
「放送内容」
  キャスター:福島香織・浅野久美
 ■ ニュースPick Up
 ・妥協なき米国、対中制裁・第3弾発動
 ・日米首脳夕食会で歓待と圧力
 ・中国の海外メディア戦略と女優ファン・ビンビンの失踪
 ・人民解放軍と芸能界~習近平は軍を掌握しているか?
 ■ 東ティモール行ってきた!~知られざる日本軍「逆無線隊」の活躍 
※ここにも反日東大教授が嘘を捏造した実態が暴露されている。 台湾軍と口に知る福島香織も怪しい! 当時、台湾人は皇民であり日本人である。
決して台湾軍と言うべきでは無い! 彼女はたまにだが、アレと思う表現がある。

 ■ 国菌を大事にしよう
 
※東ティモールの橋建設・ジャイカ(ODA=無償)の危ういシナ企業を起用した橋建設、どういう経緯なのだろうか?
反日日本政府(外務省関係者)は日本人に分からない所でもシナ人に貢ぎ続けているのだろう。
日本のODA、ADBを始め外務省が関わる事業全て洗う必要がある。

硫黄島慰霊祭!
2018・9・24 DHCTV

「記事内容」
  出演:青山繁晴

 
※嘘つき安倍総理は就任時、硫黄島の遺骨収集をやると言ったが、やったのか?
二式複座戦闘機「屠龍(とりゅう)」
2018・9・24 (1/4ページ) 戸津井康之 【今週の注目記事】
産経WEST 万能戦闘機「屠龍」搭乗員の故梅田春雄さんの思い継ぐ 超精密プラモ、年末発売へ
「記事抜粋」
旧陸軍の二式複座戦闘機「屠龍(とりゅう)」の部隊に所属した元航空技術将校、梅田春雄さんが先月13日、97歳で死去した。2年前の8月、産経新聞で掲載した連載企画「銀幕裏の声」の中で、南洋の激戦地を転戦した梅田さんの証言を掲載。記事とともに紹介した梅田さん提供の屠龍の写真が現在、京都の模型(プラモデル)メーカー「ボークス」で製作中の屠龍の新型模型の箱絵に採用されることが決まった。同社の重田英行社長が記事掲載直後、梅田さんに「写真を箱絵に使わせてほしい」と連絡。梅田さんは快諾し、模型の完成を心待ちにしていたという。「梅田さんに見てほしかった…」と重田さんは惜しむが、2人の夢を乗せた屠龍の模型は年末発売予定。完成間近の屠龍の模型の原型は今にも飛び立ちそうなでき映えだった。
  搭乗員が語る傑作機
  歴史を模型に込めて…
  甦った屠龍
前略
航空技術将校として、転戦する先々で、その運用を任されていた梅田さんの言葉が、鮮やかに脳裏によみがえった。
  「梅田さんに見てほしかった。もう少しで間に合ったのに…。でも、この屠龍の模型が梅田さんら搭乗員たちの思いを後世へと伝えてくれるのではないか。そんな希望を込めています」。
完成間近の屠龍の模型を手に、重田さんは感慨深げにこう語った。
屠龍の模型は今年11月、英国のテルフォードで開催される国際的なプラモデルの展示会で発表された後、12月に販売される予定だ。(9月20日掲載)
※ 政治問題 ※ 自民党の戦後政治が齎した日韓関係!
修正しない政治・三流日本人が統治を歪め続けたが、未だ変わらず!
2018・9・18 (1/4ページ) 【ボストンから一言(201)】 海洋民族(正直)と大陸民族(嘘つき)の文化の衝突!
産経ニュース 旧朝鮮総督府の爆破解体「愚かなことをした」 韓国政府に対する嘆きの声 
「記事内容」
私の友は皆年上なので、学ぶことも多いのに、私を残して先に逝ってしまう。
これは辛く寂しいだけでなく、聞いた昔話を確認したくとも、もはやそのすべもない。
去年の夏に亡くなった韓国人のHさんの語った数多い思い出話のいくつかは、彼女のご主人と中学時代から終生の友だった、現在韓国に住むR氏に確かめることができるので大きな助けとなっている。
Hさんは、韓国政府の政策にかなり批判的だった。
慰安婦問題においても、当時、韓国に住んでいた自身の経験を基に反論していた。
賢い上に、なかなかの皮肉屋さんだから、私はHさんの話に
  「なるほど」と納得しながらも、なにか滑稽でもあった。
例えば、
  「韓国人は“大”と付けば、なんでも立派に見えると信じているのです。国名を『大韓民国』としただけでは満足せず、多くの橋にも『大』を付けて新しい橋名を付けました。そんなお金があるなら、国民のために使うべきでした」と話していた。
  ■日本人なら確か
  ■爆破解体に大反対 ※過去の歴史を消し去りたい韓国政府!
  ここからは私のがんの治療に関するお話です
前略
私はといえば、ピンクの豚1匹が描かれたカードを選んだ理由を
  「愛らしいから」と説明し、もう1枚のカードは、若い親子3人が田舎道を歩く後ろ姿を選んだ。
選んだ理由として
  「半ズボンから出る父親の脚があまりにも魅力的だったので」と言うと、手をたたいて大笑いをする人たちもいた。
これから3カ月間、彼らと一緒に各種のエクササイズをすることとなる。
 
※大日本帝国は朝鮮人に詫び無ければならない悪政を実施したのか?  NOである。
自虐史観はGHQ(世界統一派)の指示に従い政策を練り実行した三流日本人が統治した戦後の統治機構(主役は自民党+野党=反日勢力)が仕掛けた罠である。
台湾人は当時、皇民・日本人だった!(DNAが最も近い日本人と台湾人=台湾で縄文土器発掘)
2018・9・13 
産経ニュース 戦中の台湾少年工 神奈川で最後の歓迎大会「記録写真提供を」
「記事内容」
先の大戦末期、旧日本海軍の航空機工場
  「高座海軍工廠(こうしょう)」(現在の神奈川県座間市など)で、戦闘機の製造に従事した台湾の少年工の来日から今年で75周年。
10月に
  「台湾高座会留日75周年歓迎大会」が開催され、台湾少年工をたたえる顕彰碑の除幕式が行われる。
元少年工の高齢化により、節目節目に行われてきた歓迎式典は今年が最後となる。
関係者は
  「台湾少年工と関わりのあった人々の経験談などをまとめ、後世に伝えたい」と記録写真などの提供を呼びかけている。
昭和17年、アジア一帯に戦線を拡大していた日本は、戦時下の労働力不足を補うため、台湾から約8400人の少年工を募集した。
募集条件は、日本で航空機を製造しながら勉強すれば、3~5年で旧制工業中学校卒業の資格を得られ、将来は航空機技師への道が開けるというものだった。
  ■「雷電」を生産
食費など生活費は公費でまかない、給与ももらえるといった破格の条件で、台湾の優秀な若者が競って志願したという。
  「学力優秀、身体強健」などの条件を突破した少年が、工廠付属の工員養成所で、日本人とともに学びながら働いた。
同工廠では、終戦までの約2年間、厚木基地(同県)に配備する戦闘機
  「雷電」を生産した。
少年工らは朝から日没まで働き、実際に卒業資格を得たのは約400人程度だったという。
戦局が厳しくなるにつれ、生活の状況は変わっていった。
工廠から寄宿舎に帰る途中で機銃掃射を受けるなどして、命を落とす少年工もいた。
  ■75周年で記念誌
戦後、少年工らは台湾へ帰り、国民党による戒厳令(24~62年)が解除された後、元少年工の同窓組織
  「台湾高座会」が結成された。
18年5月の来日から、今年で75周年を迎えたことを記念して
  「台湾高座会留日75周年歓迎大会」が10月20日、同県大和市内で開催されるほか、座間市内の芹沢公園で台湾少年工をたたえる顕彰碑の除幕式が行われる。
同会の李雪峰会長ら元少年工や親族らが来日予定だが、元少年工の高齢化が進んだことから、歓迎式典は今年が最後となる。 
※お互い寂しくなるね!
元台湾少年工たちは、多くが90歳以上となっており、年々、数も減っているという。
戦中、父親が少年工の寄宿舎の舎監だった縁でともに暮らしていたという
  「高座日台交流の会」会長、石川公弘さん(84)=神奈川県大和市=は  「戦争の記憶が徐々に風化するなか、日本の若い世代に台湾少年工の歴史を知ってほしい」と話している。
式典にともない、次世代に記録を引き継ぐため、来春に台湾少年工の歩みをまとめた記念誌も製作する計画で、記録写真や資料などの提供を呼びかけている。
情報提供は、台湾高座会歓迎大会事務局((電)046・261・7501)。
  【高座海軍工廠】
昭和17年、旧日本海軍から神奈川県に海軍航空兵器製造工場建設の協力要請があり、翌年、現在の同県座間市や同県大和市などにまたがった場所に設置された。
台湾から訪れた台湾少年工らが戦闘機
  「雷電」を製造。
工場が完成すれば、日本最大の機体生産工場となるはずだったが、戦局が悪化したため、当初の目的を達成することはなかった。
 
※日本人と台湾人、共に苦労を味わった仲だが、苦労の中にもちっちゃな喜びも味わった事だろう。
戦後、三流日本人が日本の統治機構を乗っ取った結果、日本人より皇民だった台湾人に苦労を強いる結果となった。
それでも、天皇陛下と日本国、日本人を恨まないでくれてありがとう! 
※ 政治問題 ※ 課題は日本人の気概(正義)
終戦直後の一流日本人(役人)と占領下媚びた三流日本人の気概の違い!

2018・9・3 (1/2ページ) 外信部長兼論説委員 【一筆多論】 日本人必読記事! そして語り継ぐべき記事!
産経ニュース 9・2、占領軍から国家と国民の尊厳を守った知られざる闘い 渡辺浩生

「記事内容」
毎年この時期になると、終戦直後の横浜で、占領軍から日本の国家と国民の尊厳を守った官僚たちの存在を思い起こす。
米ミズーリ号艦上で降伏文書が調印された昭和20(1945)年9月2日夕、横浜に進駐して間もない占領軍の総司令部が置かれた横浜税関の一室。マーシャル参謀次長が鈴木九萬(ただかつ)横浜終戦連絡委員長=当時(50)=と向き合った。
  「明朝布告を出す」
外交官で戦中は捕虜や抑留者に関する交渉に従事した鈴木は、重光葵(まもる)外相に占領軍との折衝役を任じられたばかり。
政府の関心は、ポツダム宣言では読み切れない占領統治の方針にあったが、鈴木の前にいきなりそれが突きつけられた。
本人がこのときの模様を記したメモが手元にある。
  「布告とは重大だ。明日を待たず今見せてほしい」
差し出された3つの布告は、マッカーサー連合国軍最高司令官名で
  (1)「行政・立法・司法の権能は最高司令官のもとに行使される」
  (2)「占領政策の違反者は軍事裁判で処罰」
  (3)「米軍票を法定通貨とする」という衝撃的内容だった。
  「英語を公用語にする」との文言もある。
直接軍政を敷き、通貨発行を含む政府の権限を奪うに等しい。
鈴木は中止を要請した。
  「連合国は日本政府の存在を認めている。進駐が流血もなく円滑に進んでいるのは、国民が終戦の大詔を遵奉(じゅんぽう)し進駐軍に誠意を持って協力しているからだ」
鈴木は布告を事前に見せてくれた礼をいうと、連絡委員会のある神奈川県庁に駆け、官邸に急報した。
大本営横浜連絡委員会の鎌田銓一(せんいち)陸軍中将=当時(49)=にも相談した。
鎌田は工兵科出身。
米国留学中に米陸軍工兵第1連隊に入隊し、参謀総長だったマッカーサーと面会した。
終戦後、北京から呼び戻され、連絡将校として占領軍先遣隊を厚木基地で出迎えた。
鎌田は米軍のつてを頼りに、布告中止を陳情しようと同夜、総司令部の幕僚らが宿泊するホテルニューグランドを訪ねた。
今年1月に亡くなった長男、勇氏が保管していた記録によると、応対したサザーランド参謀長は
  「本国からの指令であり独断で変更するわけにはいかない」と拒んだ。
しかし、
  「日本政府を信頼し任せてほしい」という鎌田の嘆願に折れ、マッカーサーの判断を仰ぐことに同意した。
その結果、
  「元帥は独断をもって即座に軍政を中止した」。 
※マッカーサーはこの時既に日本人を解していた可能性がある。
勇氏によると、父は、必要なくなった布告の文書を何度も破いた。
  「指から血がにじんだが、うれしくて涙が止まらなかった」と漏らしたという。
翌日、重光外相がマッカーサーと会談し中止が正式に決まった。
布告が実施されていれば、社会の混乱は免れなかった。
鈴木と鎌田の捨て身の連携が占領軍トップを動かし、間接統治への道を開いたのである。
敗戦は政治指導者やエリートらが国を誤らせた結果であった。
しかし、国を背負う気概を持った傍流の外交官と軍人が、政府を瓦解(がかい)の危機から救った。
敵将に言うべきことを言った鈴木と鎌田の闘いは、霞が関の不祥事が度重なった今年はひときわ鮮やかに蘇(よみがえ)る。
 
※アメリかの日本大使館・特命全権野村大使の行動が不可解、未だに全容が解明されていない!
反トランプの世界統一派の下僕・嘘つき安倍総理に反論する資格なし!
2018・8・28 共同
産経ニュース 「真珠湾攻撃忘れないぞ」トランプ米大統領、安倍首相に圧力
「記事内容」
米紙ワシントン・ポスト電子版は28日、トランプ大統領が6月にホワイトハウスで安倍晋三首相と会談した際
  「(第2次大戦の)真珠湾攻撃を忘れないぞ」と前置きした上で、難航している通商問題の協議を始めたと伝えた。
異例の発言の背景には、対日貿易赤字の削減を目指し圧力を強める狙いがありそうだ。
米国では真珠湾攻撃は
  「卑劣なだまし討ち」との見方が強い。
日本側の弱みと見なしてトランプ氏が通商交渉で譲歩を引き出すために、あえて日米首脳会談で触れた可能性がある。
同紙によると、トランプ氏は真珠湾攻撃に言及した後、米国の対日貿易赤字について激しく非難し、安倍氏に対し牛肉や自動車の対日輸出で米国に有利になるような2国間貿易協定の交渉に応じるよう促した。
これに対し安倍氏は、トランプ氏の発言が終わるのを待った上で反論。
日本政府当局者は
  「首相は大統領の主張を断定的に否定すれば、プライドを傷つけてしまうと分かっている」と説明した。
 
※アホな嘘つき安倍総理は反論する知識さえないのか? トランプ大統領は嘘つき安倍総理の正体(グローバリスト・新自由主義者・世界統一派の仲間・共産主義者)を既に知っているのか? 
日米関係は余り上手くいっていないのか?
受け流した方がトランプ大統領を馬鹿にした対応ではなかろうか? 歴史問題は正々堂々と反論すべきである。
アメリカは国内ダケ大東亜戦争を終結させた!
2018・8・28 ロサンゼルス=住井享介
産経ニュース 「1人で歴史変えた」日系女性 米の強制収容めぐり勝訴導く資料発見 7月死去のアイコ・ハージッグ・ヨシナガさん
「記事内容」
先の大戦時の強制収容をめぐり、米政府が日系人に謝罪、補償した
  「市民の自由法(強制収容補償法)」成立に貢献した日系人活動家に、アイコ・ハージッグ・ヨシナガさんがいる。
強制収容の不当性をめぐる法廷闘争を勝利に導く資料を発見し、日系人の名誉回復に道を開いたヨシナガさんは、謝罪から30年目に当たる今年、7月18日に93歳で鬼籍に入ったが、その死を惜しむ声はなおも続いている。
  ■主婦から転身
生前のインタビューや関係者などによると、ヨシナガさんはカリフォルニア州サクラメント生まれの日系2世で、父母は熊本からの移民だった。
高校生だった1941年12月に旧日本軍による真珠湾攻撃があり、同州のマンザナー収容所に送られた。
戦後は各地を転々とし、2回の離婚を経験。
ニューヨークで女手一つで3人の子供を育てた。
公民権運動とベトナム反戦運動が盛り上がった60年代後半には、日系人が中心となった政治団体に参加。
自らが経験した日系人強制収容や人種差別について疑問を深めていった。
つづく
  ■画期的発見
前略
先の大戦中の日系人部隊の活躍を伝える
  「ゴー・フォー・ブローク全米教育センター」のミッチ・マキ館長(57)はこう語りつつ、ヨシナガさんの功績が米国社会全体に与えた影響を指摘する。
  「米国は謝罪によって国としての強さや、法の下での正義、平等について責任を示すことになった。これは日系人だけでなく米国人全体にとって非常に大きなことなのだ」
  ■日系人の強制収容 
旧日本軍が米ハワイ・真珠湾を攻撃した翌年の1942年、日系米国人は
  「敵性外国人」とされ、全米日系人博物館によると、西海岸から約12万人が10カ所の収容所に送られた。
70年代後半から
  「リドレス(国家賠償請求)運動」が活発化。
強制収容した日系人に対する米政府の謝罪、賠償金支払いを定めた
  「市民の自由法」は88年8月10日、当時のレーガン大統領が
  「不当な人種差別だった」として署名、成立した。
 ※日本人の大東亜戦争は未だ、終わっていない!
東京国際軍事裁判はアメリカ人の嘘(捏造)によるリンチである。
東京国際軍事裁判は敗戦国大日本帝国を国際法を逸脱した事後法を用い、アメリカが犯した戦争犯罪を隠す目的を持ち、一方的に出鱈目な判決を下し、ABCと戦犯をランク付けし、A級戦犯を極刑(殺人)に処した。
GHQは占領下、国際法を違反し、日本に国憲法を制定、そして、日本人の洗脳も実施した。
日本人は東京国際軍事裁判の違法性を訴え大日本帝国と日本人の名誉回復を必ずやり遂げなければならない。
戦争犯罪を隠し続けるアメリカor屈服したままのヘタレな日本!
2018・8・25 (1/2ページ) 文・写真/藤森篤
産経ニュース 紫電改と原爆投下機 接収された日本陸海軍戦闘機のいま
「記事抜粋」
  【いまも飛ぶ大戦機】 
支那事変から太平洋戦争に至る大東亜戦争の約8年間に生産された日本陸海軍機の総数は、実に8万機近い。
平均すると年間1万機に迫るわけだから、当時の日本の国力を考えると、いかに膨大な機数かがわるだろう。
だが、その大多数は戦闘で失われ、日本本土と外地に残ったわずか一割ほどの残存機も、敗戦後に連合国の手で廃棄処分された。
とはいえ連合国は、性能試験・研究資料とするため、多種多様な日本陸海軍機を接収して、本国に持ち帰っている。
さらに戦勝記念品やゲート・ガーディアン(基地内展示機)、有力企業へ贈呈するなどの目的もあり、決して少なくない数の日本陸海軍機が、海を渡ったのである。

いまも現存する接収日本陸海軍機の中で、ただ1機だけ動態保存されているのが、米プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館所有の零戦52型だ。
昭和19年6月、サイパン島で米軍に捕獲・接収された本機は、米本土で試験飛行を実施。
戦後になって民間へ放出され、同博物館が取得して復元作業を施した。
そしてオリジナルの栄発動機で飛行する唯一無二の零戦として、三度の“里帰り”を果たし、日本でも広く知られるところとなったのである。

零戦に次いで知名度が高い紫電21型、通称“紫電改”は、米国に3機が静態保存されている。
しかも米国立航空宇宙博物館所蔵機では広島へ原爆を投下したB-29“エノラゲイ”の翼下に、米国立空軍博物館所蔵機では長崎に原爆を投下したB-29“ボックスカー”と並んで展示されているのだ。

紫電改と原爆投下機に因果関係はないのだが、日本人としては非常に感慨深い展示である。
また米国立太平洋戦争博物館に静態展示されている、紫電改の母体となった水上戦闘機・強風も、大戦機ファンには非常に興味深いだろう。

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に静態展示されている陸軍三式戦闘機・飛燕も、実は米軍接収機だ。
敗戦後、米軍に接収されてジョンソン空軍基地(現・航空自衛隊入間基地)の展示機となり、後に日本へ返還された機体である。
そして紆余曲折を経て、飛燕を製造した川崎航空機の後身・川崎重工が、2015年より本格的な復元作業に取り組んだ結果、現在の完璧な姿を取り戻したのだ。

「刀剣・鎧甲冑は美術品、工芸品だが、戦闘機は忌むべき人殺しの道具」といった珍妙な解釈が、いまだにまかり通る日本では、極めて例外的な事象であり、まことに幸運な米軍接収機である。
  【プロフィル】藤森篤(ふじもり・あつし)
日本大学理工学部航空宇宙工学専修コースで、零戦設計主務者・堀越二郎博士らに学ぶ。
30余年間、飛行可能な第二次大戦機の取材撮影をライフワークとする。
著書は「零戦五二型・レストアの真実と全記録」(エイ出版社)など。
 ※日本人はアメリカに対し、日本本土への無慈悲な二種類の原子爆弾投下実権と無差別空爆(無差別空襲=大虐殺総数=日本人と朝鮮人合わせ80~100万人)を人類の為、戦争犯罪を問い続けなければならないが、決してアメリカ人を憎んではならない! アメリカが戦争犯罪を認めるまで日本人は決して忘れてはならない!
史実の大東亜戦争を知れ、日本人!
2018・8・15 IRONNA 日本人必見記事!
「平成最後の夏」にあの戦争を考える
「記事内容」
  「平成最後の夏」。
こんなワードがネット上で広がっているという。
先の大戦から73年目の夏でもある。
終戦の日。今上天皇が最後の戦没者追悼式にご臨席される。
大戦の記憶は薄れゆくが、あの戦争とは結局何だったのか。
平成最後の夏に考えたい。
  第一人者、常石敬一の見解 「サルと雨下」731部隊、軍医論文に隠された人体実験の謎
  進む史実の見直し 「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀
  インド独立のシンボル インパール作戦をただの「無謀な作戦」と言うなかれ 
※唯一の戦友国インド(臨時政府)!
  「大東亜戦争調査会」の意義  
  「結論ありき」でずさん?
  前代未聞の「武士道」
 
※日本人は靖国に眠る英霊達の死を決して無駄にしてなならない! 英霊に感謝!
終戦間際の迷彩処理!
2018・8・12 南九州支局 谷田智恒
産経ニュース 終戦間際に熊本5飛行場の写真を米軍撮影 米国立公文書館で発見 被害放置し敵あざむく
「記事内容」
さきの大戦末期の昭和20年7月、熊本県内にあった旧陸軍玉名飛行場など5カ所の飛行場を、米軍機から空撮した写真52枚が、米国立公文書館で確認された。
画像をみると、数カ月前の空爆の被害を放置した状態だが、地元研究者は  「日本軍が進めていた基地の地下化を、秘匿しようという意図がある」と分析した。 
               ◇
市民団体
  「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」事務局長の工藤洋三氏(74)=山口県周南市=が発見した。
工藤氏は徳山工業高等専門学校(高専)の元教授で、空襲・戦災に関する研究を続ける。
毎年3~4月には、米ワシントンにある国立公文書館を訪れ、米軍資料を精査してきた。
今春、同公文書館で発見した52枚は、20年7月27日撮影の151枚の中にあった。
鹿児島県の知覧飛行場などと一緒に収録されていた。
当時沖縄に駐屯していた米極東航空軍写真偵察中隊が、撮影したという。
52枚のうち、熊本の飛行場の内訳は、陸軍の玉名10枚、菊池9枚、黒石(くろいし)原(ばる)16枚、隈庄(くまのしょう)8枚と、海軍の人吉9枚だった。
工藤氏は写真データを、熊本県内の戦争遺跡の保存活動に取り組む
  「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」代表の高谷和生氏(63)=熊本県玉名市=に提供した。
高谷氏が県内に残る記録や資料などを基に、写真を分析した。
玉名飛行場は格納庫や兵舎などが破損していた。
20年5月の爆撃による被害を、放置した状態だった。
飛行場として機能不全に陥っているように見える。
ただ、高谷氏によると、航空機などを守る掩体壕(えんたいごう)は、東側で設置作業が行われていたという。
特攻機の中継基地でもあった菊池飛行場は、3月以降4回に及ぶ空襲で格納庫屋根は大きくめくれ上がり、鉄筋も露出していた。
周囲に盛り土をした掩体壕に、破壊された機体が放置されていた。
海軍人吉飛行場は、滑走路にまだら模様の対空迷彩を施していた。
同飛行場の滑走路は、熊本県内で唯一、コンクリート舗装されていた。
高谷氏によると、この段階で基地機能は、完全に地下に移されていたという。
写真撮影当時、米軍など連合国軍は、20年11月を前提に九州上陸作戦
  「オリンピック作戦」を計画していたとされる。
日本側もこれを察知し、準備を進めていた。

  中国に「旧日本軍が残した札束」はすべて偽札だった

高谷氏は
  「当時の日本軍は本土決戦に備え、飛行場の地下基地化に取り組んでいた。写真からは、空爆で破壊された基地を放棄したように見せて、米軍を欺こうとした意図が読み取れる。画像も鮮明で資料性も高い」と語った。
               ◇
くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークは11日、熊本市立図書館(中央区)で開催中の「絵本・戦時資料から見た熊本空襲」の会場で、今回発見された写真の一部の公開を始めた。
26日まで。
入場無料。

日本人の誇り・人類史上最も崇高で意義があった大東亜戦争!
2018・8・11 チャンネル桜 最重要・日本人必見動画!
【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30/8/11]
「放送内容」
  パネリスト:
 岩田温(政治学者・大和大学政治経済学部専任講師)  上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 小堀桂一郎(東京大学名誉教授)  髙山正之(コラムニスト)  田中英道(東北大学名誉教授)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)  林千勝(戦史研究家)
 宮崎正弘(作家・評論家)  司会:水島総
 
※日清戦争以前から続く白人による人種差別が齎した大東亜戦争だが、白人の思い上がり(植民地主義)と白人の質の悪さ(愚民)による人類の理想を備えた日本人(大日本帝国)への嫉妬が日本憎しを生んだ結果が大東亜戦争(文明の衝突)であろう。
当時、大東亜戦争が起きなくても、日本は必ず、大和民族の存亡を賭けた戦争に直面しただろう。
重要=西岡力氏が日本人と朝鮮人、シナ人の違いを語っているが、無知な嘘つき安倍総理始め日本政府、経団連が歴史に学ばず、再び過ちを犯している。
日本政府は戦後、山本五十六を英雄に仕立て上げたが、これこそ嘘を用いた日本人洗脳プログラムの一つであり、政府のプロパガンダである!
ニュースが示す先に反日日本政府あり!
早く気付けよ 日本人!
戦争犯罪の原爆投下・アメリカ軍の日本人(民間人)大虐殺
2018・8・10 山田研 毎日新聞
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」
「記事内容」
1945年8月9日の長崎への原爆投下を前に、米海軍への長崎出撃などを禁じた同軍の極秘電文3通が米国立公文書館で見つかった。
同1~4日付電文で、太平洋艦隊司令長官が日本近海で部隊を率いる第3艦隊司令官に送信していた。
米兵の被ばく防止と原爆投下を計画通りに進める狙いがあったとみられる。第3艦隊の攻撃目標も長崎から東北地方に変更され、その後の東北空襲につながったことも判明した。

  【写真特集】被爆3日後の惨状生々しく 記者が撮った40枚の写真

米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体
  「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の工藤洋三事務局長=山口県周南市=が昨年、同公文書館保存のファイルから発見した。
いずれの電文も太平洋艦隊司令長官ニミッツが、前線で第38任務部隊を率いる第3艦隊司令官ハルゼーに送っていた。
工藤事務局長によると、海軍の前線に原爆投下に関する情報が事前に伝わっていたのが確認されるのは初めてとみられる。
米陸軍が主導して原爆投下を極秘裏に進める中、第3艦隊が空母などで編成した第38部隊は8月5日、日本海軍の拠点だった長崎・佐世保を攻撃予定だった。
最初の電文は部隊が太平洋にいた1日付で
  「4日に(原爆投下の)ターゲットの一つが京都から長崎に変わった」と伝達していた。
2日付電文は
  「4日または5日、後に伝える時刻の4時間前から6時間後まで、長崎、小倉、広島の半径50マイル(約80キロ)に入らぬよう」命じた。
小倉(北九州市)は投下候補地の一つで、工藤事務局長によると、敵のレーダーを妨害するために空爆機はアルミニウムをまくが、空中に残っている間に原爆を投下すると予定より高い地点で爆発する恐れがあった。
時間を区切ったのは、作戦の成功と米兵の被ばく防止の狙いがあったとみられる。
4日付電文には原爆の投下を命じられていた米陸軍「第509混成群団」が作戦を実行するので、第38部隊の
  「九州と本州西部」への出撃を禁じた。
この命令を受け、第38部隊は東北地方に転戦。
9、10両日に宮城・岩手・山形などの軍事施設を一斉に空爆したが、背景に原爆投下があったことも明らかになった。
工藤事務局長は電文を分析した内容を盛り込んだ
  「アメリカ海軍艦載機の日本空襲」を先月に自費出版した。
防衛大の等松(とうまつ)春夫教授(外交史)は
  「米政府は原爆投下作戦を極秘に進めていたが、投下の数日前には爆発の影響を想定し、日本近海で活動する海軍部隊の最高レベルには警告を出す必要が生じたことを示している」と指摘した。
 
※空襲・戦災を記録する会全国連絡会議に質問メールを送信したが、送信できなかった。
何故だろう。
戦前はソ連スパイに翻弄されたが、今はシナスパイに翻弄される日本!
2018・8・8 共同
産経ニュース ウラジオ市がゾルゲ記念像の建設計画を発表 日本における20世紀最大のスパイ事件の首謀者
「記事内容」
ロシア極東ウラジオストク市は8日、先の大戦開戦前に日本で活動した旧ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの記念像建設を計画していると発表した。
記念像建設は2012年にも取り沙汰されたが資金不足で実現しなかった。同市は
  「スポンサーを募り、19年までに中心部の公園に建てる予定」と説明している。
日本における20世紀最大のスパイ事件の首謀者、ゾルゲの像や名を冠した通りはロシア各地に点在し、現在でも英雄視されている。
ゾルゲは1933年、新聞社特派員として来日し、ドイツのソ連侵攻や、近衛文麿首相のブレーンから入手した日本の機密をスターリン率いるソ連に報告した。
ウラジオストク市によると、ゾルゲが送った暗号はウラジオストクで受信しており、ゾルゲ自身も過去に2度訪れた記録がある。
ゾルゲは太平洋戦争開戦直前の41年10月に逮捕され44年に死刑が執行されたが、ソ連は戦後、国家勲章を贈った。
人種差別主義者の贖罪か!
2018・8・ 岡部伸 【ロンドンの甃】
産経ニュース 退役軍人が今の日本人に伝えたい「日本兵の騎士道精神」
「記事内容」
  「日本にも騎士道精神があったことを日本人に伝えたいと思っていた」。英南部ベッドフォードの教会で7月、退役軍人団体
  「ビルマ・スター」協会幹部の元軍司令官、ビル・スマイリーさん(96)の葬儀で、司教はこう追悼した。
士官として旧ビルマ戦線で日本軍と戦ったスマイリーさんは、ジャングルを3カ月さまよった。
大戦で英国軍人約5万7000人が日本軍の捕虜となり、過酷な労働に従事させられ、英国に反日感情をもたらした。
ビルマ・スター協会も1998年に天皇陛下が訪英された際、パレードに背を向け日の丸を焼き、
  「仲間が日本兵から虐待を受け、殺された」と和解を拒み続けた。
しかし6年前、スマイリーさんは、元兵士の相互理解を目指す民間団体
  「ビルマ作戦協会」の要請を受け入れ、和解ミサに参加。
同じ旧ビルマ戦線で戦った元日本兵と共通体験から心が結ばれ、
  「戦友」と呼び合う仲になった。
その後、
  「瀕死(ひんし)の重傷を負い、従軍できなくなった戦友を苦しませないため撃ったことがある。日本兵は私たちを包囲しており攻撃できたのに黙って見逃した。これぞ武士道」と秘話を明かした。
司教がスマイリーさんの言葉として紹介した日本人の騎士道精神とは、武士道精神にほかならない。
 
※白人は怠け者! 日本人と白人では労働に対する観念が大違い! 
白人は当時、日本人が白人を捕虜にしたのが悔しかったのである!
第二次大戦で最も優れた戦闘機は?
2018・7・28 (1/2ページ) 【いまも飛ぶ大戦機】 写真あり!
産経ニュース 第二次大戦で最も優れた戦闘機は? 米海軍の「偉大なる凡作」VS「遅れて来た秀作」
「記事内容」
多種多様な大戦機を乗りこなすアメリカ人現役パイロットに、
  「第二次大戦で最も優れた戦闘機は?」と質問すると、しばしば意外な答えが返ってくる。
  「もちろんグラマンF6Fヘルキャットだ!」と。
その真意は、単なる紙上のスペックよりも、頑丈で信頼が置ける機体構造、新米パイロットでも乗りこなせる即戦力の方が、実戦ではずっと重要なのだそうだ。
事実その活躍は目覚ましく、米海軍が太平洋戦争中に空中戦で撃墜した日本軍機の実に80%近くは、F6Fヘルキャットが挙げた戦果であった。

とはいえ垢抜けない外観、際立ったスペックを持たないF6Fヘルキャットは、口さがない大戦機ファンから
  「偉大なる凡作」とのそしりを受けている。
そもそもF6Fヘルキャットは、革新的設計のヴォートF4Uコルセアが、失敗した場合に備えて開発された、いわば“保険”のような戦闘機だったからだ。
この米海軍の予想は見事(?)に的中し、F4Uコルセアの開発が難航したため、堅実な設計が功を奏したF6Fヘルキャットは、主力艦上戦闘機の座を射止めたのである。
そして太平洋戦争の中期以降、攻勢に転じた米海軍の急先鋒として、対日戦勝利の立役者となったのだ。

かたやF4Uコルセアは、ひとまず空母での運用をあきらめて、米海兵隊の陸上基地に配備された。
ところが米海兵隊での運用が、F4Uコルセアの運命を大きく変えたのである。
前線部隊があり合わせの材料で急造した爆弾架を、機体に装着したところ優秀な戦闘爆撃機に生まれ替わったのだ。
さらに米海兵隊が運用している間に、ヴォート社は改良に次ぐ改良を重ねた結果、F4Uコルセアは太平洋戦争末期に、晴れて米海軍艦上戦闘機として復活を果たしたのである。

若狭湾・ナチスのユーボート発見!
2018・7・16 (1/5ページ) 社会部 福田涼太郎 
産経ニュース 旧日本軍潜水艦「呂500」を若狭湾で発見 元乗組員が明かした「終戦後の“出撃”」秘話 
2018・6・17
産経WEST ナチスのUボート…旧日本海軍の潜水艦探索へ 若狭湾で九工大など (2)

「記事内容」
先の大戦後、京都府舞鶴市沖の若狭湾で米軍に処分され、海底に沈んだ旧日本軍の潜水艦を調査していた浦環(うら・たまき)九州工業大特別教授らの調査チームが、対象だった3隻全ての位置と名前を特定したと7月3日、発表した。
ドイツから譲渡されたUボートと呼ばれる潜水艦「呂500」も含まれ、当時高水準だったUボートの技術を、この呂500から日本軍が学んだ歴史も思い合わされる。
元乗組員の男性は
  「当時のことを思い出す」と、終戦後に“出撃”した驚きの秘話を明かす。

  日本に譲り渡された唯一のUボート
  「私たちは非常にこれに注目している」。
3隻を特定したことが発表された7月3日の記者会見。
浦氏は3隻の中でも、呂500のたどった歴史が興味深いものであることを熱っぽく説明した。
つづく
  「死を覚悟した」どくろマーク
中略
  「船体のどくろマークは残っているのだろうか。残っていれば見てみたい」
今はほとんど亡くなったという当時の乗組員約60人のためにも、残った自分の目で確かめたいと願う。
 
※大日本帝国が、日本人が、ドイツ(ナチ)と軍事同盟を結んだ動機が理解できない!
「呂500」Uボートの技術が欲しかった訳でもあるまいに・・・
何と言っても不可解なものは大東亜戦争・日米決戦に於ける駐米日本大使館内の来栖三郎特命全権大使と野村吉三郎大使、大使館員の行動である。
私が小学4~5年生だった頃、題名は忘れたが、全校生徒が講堂で「野村大使」の映画を鑑賞させられた。
今思えば、この映画は三流日本政府のプロパガンダに違いない。
日米開戦前夜に未だ、日本政府に不都合な決定的な何かが隠されている気がしてならない。

  (2)
「記事内容」

第2次大戦中、技術交流の一環としてドイツから譲渡され、戦後に処分されて海底に沈んだ旧日本海軍の潜水艦
  「呂500」の探索を、九州工業大などでつくる調査チームが若狭湾で始める。
調査チームによると、呂500はナチス・ドイツの潜水艦Uボートで、全長は約76メートル。
1943年に広島・呉港に入港後、練習艦として使われたが、終戦後の1946年4月に連合国軍総司令部(GHQ)が技術漏えいの防止などを理由に若狭湾で処分したという。
天候が良ければ18日から探索を開始し、21日までの予定で実施する。
同チームは米軍の記録や、沈没船の目撃情報などを基に、音波を用いて海底を調査。
船体の影が見つかれば、遠隔式の無人潜水機で撮影し、確認を進める。